しらTの部屋

小学校教員としての日常や感じたことをつらつらと書き綴ります。

#57 「189日目 必ず、引き立て役がいる」

高校の部活動で、視覚障害者の方のマラソンの伴走を務めたことがある。伴走というのは、選手の横について走る役割のことだ。
視覚障害があるとはいえ、本気で練習を重ねているアスリート。彼らはみな、それぞれの距離で自己ベストを目指して走る。彼らの「目」として走る伴走の責任は重大だ。でも、だからこそ伴走という存在が、ランナーを際立たせる役目を果たすことになる。走り終えた後の充実感は、気持ちが良かった。

 

「ばんそう」には、同じ読み方の違う言葉もある。「伴奏」だ。これは音楽を奏でる際、主役となる演奏を支え、そのよさが際立つようにする演奏のことだ。

今日、卒業式の練習で、伴奏をしてくださった先生がいた。ピアノの音色が美しく、弾けない私にとっては別次元の存在だ。その演奏だけでも聞く価値がありそうだが、やはり「伴奏」なのである。それは、主役の演奏が際立つようにするためのもの。主役は、もちろん、君たち卒業生だ。

 

この卒業式で、卒業証書を一人ずつが受け取る。注目を浴びることに恥ずかしさを覚える人もいるだろう。

だが、卒業式の主役は、紛れもなく君たち卒業生だ。

 

そばにいる人のよさが際立つようにする人のことを、「引き立て役」という。

司会も、伴奏も、音楽も。この卒業式では、全てがみんなの引き立て役に回る。

私も、この小学校生活最後の1年間を担任し、君たちの人生の引き立て役に回ってきたに過ぎない。

 

残り9日。頼りない姿を見せることなく。もっと、君たちの可能性を、引き立てさせてほしい。