放課後、A君が私のところに話しかけにきた。
「先生、僕、卒業式の時、絶対に泣いてしまいます…。」
素直な、彼らしい発言だった。
1年生の時から慣れ親しんだ学校。様々な思いが込み上げ、卒業していく自分の姿を想像したのだろう。
だが、ここであえて問い返してみた。
「Aくん、その涙に、愛はあるんか?」
Aくんは、キョトンとしていた。言われた意味がわからなかったのだろう。だから、私は続けて次のように伝えた。
「卒業式で涙する。素敵なことだね。思いがたくさんつまっているからだろうね。でも、その涙の価値は、これから卒業までの過ごし方で、重くも軽くもなるんだよ。今、全力でがんばれている?自分がしないといけないこと、ちゃんとできてる?卒業するときに、やり切ったって言えるがんばりが出せてる?卒業の涙が、軽いものにならないように過ごせたらいいね。」
目を見て聞いていたAくんは、コクンとうなずいていた。届いているといいな。
私には、とても印象的な卒業式がある。この10年間の教員経験で、昨年度の6年生の卒業式ほど感動したことはなかった。
過去に6年生を担任したときより、昨年度の6年生の卒業式は印象深かった。それはなぜか。
卒業生がほぼ全員、泣いていたからである。さらに、その涙に彼らの成長の跡が紛れもなく刻まれていると感じたからである。
昨年度の6年生は、4年生で担任をした子たちだ。トラブルや問題も数多くあった。でもそれを上回るだけのプラスの思い出がいくつもある。
コロナで分散登校を余儀なくされ、学級内に掲示板を張り出して交流したこと。
自主学習を推進するための、「ゆるキャラ選手権」を開いたこと。
お楽しみ会で、お笑い好きの子と一緒にコンビを組んで漫才をしたこと。
娘が生まれたときに、この上ないお祝いのメッセージを届けてくれたこと。
どれもがかけがえのない思い出として心に刻まれている。そんな彼らが、立派に成長して卒業式で流している涙は、あまりにも美しかった。
さて、今の6年3組にも、素晴らしい思い出がいくつもある。
その思い出の数々が、卒業の日に、どんな風によみがえってくるだろうか。
泣くことが美しいわけではない。泣けばいいわけではない。泣くために過ごしているわけでもない。
それでも、涙が流れるとしたら。
私は卒業式で、愛のある涙を流したいと思う。
最後の日が、最高の思い出として心に刻まれることを願い、明日も1日を積み重ねていこうと思う。