4時間目の授業が終わり、教室に戻るときに、気がついた。給食当番表を、印刷していなかったことに。
誰がなんの当番をするかは、先週の当番から一つずらしたものを口頭で伝えたり、すでに3月まで作成している当番表のデータをテレビに映したりすれば、示すことができた。
しかし、私はあえて6年3組のみんなを見守ることにした。
2学期末ごろから、給食当番活動に対する一つの思いがあった。その頃は欠席が増え、当番の仕事が決められている通りには回らないことが多くなっていた。
そこで、ある考えが浮かんだ。
給食当番は、今この学級に必要なのだろうか、と。
当番ではない人が、毎日のように給食を取りに行き、配膳をしている。その姿を見ていると、「当番表」という決められた枠の中にある役割は、無意味に思えたのだ。
当番活動の目的は何か。
それは、「役割を生み出すこと」だと思う。
これが、「役割を与えること」になってしまうと、当番活動は「やらされている活動」になる。つまり、「当番ではないから、自分はやらない」ということをよしとする状況が生まれてしまうことになる。クラスの状況を見ていると、やはりこういう意識が働いてしまっている姿が見える。
卒業まで残り39日。
給食当番表は「役割を生み出す」という働きを、もう終えていいのではないだろうか。
「当番」という枠を超えて、動ける人になりませんか。