しらTの部屋

小学校教員としての日常や感じたことをつらつらと書き綴ります。

#64「196日目 自分に負けない厳しさ」

卒業式の予行が終わった。いよいよ、残すは式本番のみとなった。

 

呼びかけの言葉が、早くなるところがある。どんどん「セリフ」が流れていって、味わい深くない。

これは、緊張しているせいだ、とは言い切れないと感じる。

無事に自分の役割を果たそうとする気持ちが、外に向きすぎているせいだと考える。すなわち、言葉が「セリフ」となり、自分の感情をともなっていないのではないかということだ。そうすると、気持ちは「よく見せよう」「失敗しないようにしよう」「無事に終えよう」という方向に働き、外へ外へと考えが向いていく。

逆なんだ。確かに、人に見てもらうものである以上、外側を意識することは大切だ。だが、卒業するのは、自分自身。もっと自分の内側を意識することで、思いのこもった言葉が言えるのではないかと思う。

これまでの生活を振り返り、努力してきたことを思い起こし、放たれた言葉は、必ず人の胸を打つ。見られているからとかは関係なく、自分の内側が相手に届く瞬間があるのだ。

 

元メジャーリーガーのイチロー氏が、語っていたことがある。

 

自分に厳しくしている人と、自分に甘い人とでは、どんどん差が広がってしまう。

厳しくできる人間は、どんどん求めていく。

自分を甘やかすことはいくらでもできてしまう。

そうなると、いずれ苦しむ日が来る。

 

自分に負けない厳しさを、私たちはどこまで持てているだろうか。

社会に出て行くにあたって、改めて問いかけたいことだ。

#63「195日目 タイムスリップの旅」

※本実践は、渡辺道治先生の学級通信を読み、追試を行ったものである。

 

3時間目の授業が始まる前。「国語の教科書とノートだけ用意しておいてね」とだけ伝えた。

チャイムが鳴り、授業が始まる。みんなで指名なし音読をした。読んだ文章は、「海のいのち」。色を使った表現が多用され、登場人物の心情や情景を巧みに描写している、物語文だ。文章量も多く、読み取りの難易度も高い、6年生ならではの文章。
誰が立って読むのか、目配せをしたり、譲り合いが起きたり。読み間違いがあっても、軽く笑いながら読み進める。和やかな雰囲気で、音読が進んでいった。

すべてを読み終えた後で、全体に告げた。
「では今から、ある場所へ移動します。教科書とノートはそのままにして、廊下に2列に並びましょう。」
並ぶのも、速い。そこにあるのは、スピード感を意識できる、最高学年の姿。
廊下を進み、階段を降りる。「あの場所ってどこ?」と、口々に話す子どもたち。連絡帳にも「どこなんだろう?」と書いている子もいた。事前の予定で、「あの場所へ行く」と書いていたので、どこかに行くことは予想していたのだろう。だがその行き先は、まだ私しか知らない。

足を止めたのは、1年3組の教室。
「えっ!ここ?」と声を上げる子どもたち。「イス、ちっさい!」と、机や椅子の大きさに驚く声も飛び交う。私は教室と同じ席に座ることを指示し、「スペシャルゲストを呼んでくるね」と言い残して教室を後にした。
一呼吸置き、心を落ち着け、私は再び教室へ戻った。

 

 

「みなさーん!こんにちはー!」
とびきりの笑顔で現れた、ハイテンションの担任を見て、キョトンとする子どもたち。

「久しぶりだね!元気にしてた?今日はみんなで国語の勉強をするよ!」

ここからは、矢継ぎ早に子どもたちの動き一つ一つをオーバーなくらいに、ほめていく。

「〇〇さんの教科書の持ち方はきれいだなあ!」

「〇〇さんの目つきには、やる気が感じられるね!」

「〇〇さんの聞く姿勢がすばらしい!」

どれも大げさなくらいにほめる。ゲラゲラ笑い転げる子どもたち。

先ほどと同じように、音読をしていった。

選んだ教材は、「スイミー」。

これから無限に広がる社会に出ていっても、子どもたちにはそれぞれの個性を発揮して、成長してほしい。そんな願いをもって、選んだ教材だ。

教室に子どもたちの元気な音読の声が響く。途中、図書室から戻ってきた「本当の」1年生たちの驚きのリアクションも楽しみながら、タイムスリップの旅は終了。再び、6年生の教室へと戻った。

 

元の教室に戻り、感想を尋ねた。

「教科書の文字が大きかった!」

「漢字がほとんどなかった!」

「机やいすが小さかった!」

子どもたちからはさまざまな感想が語られた。私からは、二つの話をした。

 

一つ目は、間違いなく全員が成長しているということ。場所の違いはあるとは言え、今よりずっと小さな机や椅子で学習していた時代があった。1年生の頃はひらがなの学習から始まったのに、今では「海のいのち」という難解な文章も、スラスラと読むことができる。ペースは違っても、みなそれぞれに成長を遂げている。そのことに、自信を持ってほしいということ。

二つ目は、教えてくれた人たちがいたということ。ひらがなも文章も、初めから読めたわけではない。読み書きを教えてくれた人がいるからこそ、今ここまで成長できている。決して自分の力だけで大きくなってきたわけではない。そのことに、感謝の気持ちを持ってほしいということ。

授業後、感想をノートに書いてもらった。

一部を紹介する。

 

私たちは、一年生でした。私たちは一年生になります。それを実感しました。何も知らなくて、何もわからない一年生になります。それが、うれしくて、少し悲しくなりました。(Mさん)



成長が、改めてとっても感じられた。机やいすが小さかったり、教科書の文字が多かったり、ページが少なかったり。
自分が通ってきた道なのに、今ではそれがありえないって思うようになってきているから、一年生に戻れてよかった。(Nさん)
 


確実に成長しているのがわかりました。机も一年生と六年生の差がすごかった。スイミーがすごく懐かしかったです。中学校に行ってもがんばります。(Yさん)
 


一年生からこんなに育ったんだなーと実感しました。一年生の教科書を見てから六年生の効果書を見ると、字が小さく見えます。一年生の先生はたくさんの意味ですごいと思いました。中学生になったら。また一年生から始めますが、6年生の経験を忘れず、がんばろうと思いました。(Mさん)

 

 

#62「194日目 現実を見ろ」

最後の卒業式練習。
やはり、日ごろからの積み重ねの重要性を痛感した。



 

提出物を出していない。
自覚していれば、行動した方がいい。
自覚していないなら、周りを見た方がいい。
その無自覚さ、無責任さは、自分も周りも不幸にする。


都合の悪いことにはふたをして、光の当たっている方にだけ行くと、ろくなことがない。



 

形だけ整えた式も、見た目だけ飾った人も、「成長」とはほど遠い。


「これでいい」ではなく、「これがいい」。


そんな卒業式で、終わりたい。



現実を見ろ。

#61「193日目 忘れたくても、忘れられない」

東日本大震災から13年。
今私の目の前にいるのは、この震災を経験していない子どもたち。


前を向いて歩いている人が、たくさんいる。でも、いまだに「行方不明」の人がいて、その帰りを待つ人がいる。

前を向いて、強く生きようとしている人がいる。

どうやって、つらい日々を乗り越えてきたのか。
でもそれすら、「乗り越えている」ように見えているだけなのかもしれない。乗り越えてなどいなくて、ただ必死に今を生きているだけなのかもしれない。




当たり前の日常に感じる幸せ。「あの日を忘れない」という言葉はよく言われるが、「忘れたくても、忘れられない」という人もいる。




 

今朝、人生初の救急車に乗った。大事に至らず帰ってくることはできたが、その数時間の中にさまざまな思いがよぎった。


生きられていることの有り難さ。自分の生を支えている人の存在の大きさ。そういったものに気付き、考え、行動で返せる人でありたい。




当たり前のことなど、一つもない。忘れずにいたい。

#60 「192日目 日の当たる場所」

劇団3組。ハラハラしたけど、楽しめました。
来週はいよいよ、最後の一週間です。
メリハリをつけて乗り切ってほしいです。

 




この劇発表に向けては、ずいぶんと前から準備が進められてきたように思い起こされます。やけに気合いが入ってるなあと、感心したものです。



 

少し話は変わりますが、ユニクロなどを展開するファーストリテイリング会長・柳井正さんが、新入社員にメッセージを伝える動画を見ました。
そこではこんなことを述べられていました。



「基本的なことができて、初めて周囲の人はあなた方を尊重してくれます。その人が基本的なこと、目立たなくても大切なことを重視して、いいかげんじゃなく、本気で仕事に向き合っている、いいかげんじゃなしに、本気で仕事に向き合っているなっていうことであればね、皆さんに周囲の人は協力してくれます。

反対に仕事を軽視して日の当たる場所ばっかりに出ていって自分の仕事を適当に済ましていると、それは絶対に成長しません。」




 

どんなことをするにせよ、基本的なことをちゃんとやれていたかどうかが問われてくると思います。
劇発表という一つの舞台に向けて、どんなことができたのか。



今回、先生は完全にノータッチ。
この劇団はどんな集団として育っているのか、眺めさせてもらっていました。


本気で向き合って、やるべきことに立ち向かう人たちを、これからも応援していきたいと思いました。

#59 「191日目 生まれて初めてのプレゼント」

この話は、以前にしたことがあるかもしれない。

 

生まれて初めてもらったプレゼントのことを、覚えているだろうか。

おもちゃ。ゲーム。ぬいぐるみ…。いろいろなものが浮かんでくるかもしれない。

でも、それらはみんなが成長してから、もらったものだ。

 

生まれて初めてのプレゼント。

それは、「名前」である。

生まれた子どもに、親はさまざまな思いや願いをこめて名前をつける。

いや、「つける」のではなく、「贈る」のだ。

 

この小学校生活を通して、おそらく君たちがどの言葉よりも多く書いたのが、自分の名前だと思う。

 

私は、名前を大切にしたい。

だから、4月に「あだ名決め」を行った。友だちの名前に親しみをこめたり、自分の名前と向き合ったりしてほしかったからだ。

一年間、健康観察リレーとして、名前を呼んで返事をしてきた。名前を呼んで、返事をする。これが卒業式でも行われるのだから。

 

始業式の日。

1組と2組がクラスを発表され、「もう呼ばなくても、これが3組やん」という空気が漂っていても、私は全員の名前を呼んだ。

 

私は、名前を大切にしたい。

卒業式の中で、私が出せる声は、みんなの名前を呼ぶ声だけだ。

だから、返事に期待したい。

 

世界でただ一つ、自分だけに与えられた、生まれて初めてのプレゼントである、名前。

 

覚悟を持って、呼びたいと思う。

 

#58 「190日目 君がいるだけで」

たとえば君がいるだけで
心が強くなれること
何より大切なものを
気付かせてくれたね

米米CLUB『君がいるだけで』より)


上の歌詞は、先生たちの世代なら必ずといっていいほど知っている、有名な曲の一部分です。
あまりにも耳になじみすぎていて、深く考えたこともなかった歌詞でした。でも、今日はふとこの歌詞が思い浮かんでくるような一日でした。

 

教室にみんながそろう。当たり前のようで、当たり前でない幸せ。一人の力だけでは変えられないけれど、一人一人がどれだけ大切な存在なのかを改めて感じました。

 

また、今日は職員会議がありました。そこで、卒業式についての確認がありました。前にも伝えましたが、全教職員が役割を持って、式に臨みます。

名前と役割が記載された書類を見ていて、改めて身が引き締まりました。この学校の先生方は、君たちを送り出すための最高のステージを整えてくださいます。絶対に素晴らしい式になると、確信しています。

 

明日は合同練習。環境を生かすも殺すも、自分たち次第です。がんばりましょう。