#12 「154日目 散り際の美学」
日本には古くから、「桜は散るから美しい」という言葉があると言われています。散る頃の桜というのは、蕾のころと違って花が開いており、色合いが美しい。また、散りながら空中を舞う花と枝に咲く花、さらには青空や舗装されたアスファルト、土手の緑などが同じ空間に映り込むと、華やかさな彩りとなるでしょう。卒業シーズンになると、そういうシーンを扱ったCMが良く流れるのではないでしょうか。
「散り際の美学」というのは、何も花のことだけを指すのではないのですね。物事には終わりが必ずあり、終わりをどうデザインしていくかが重要だということを教えてくれる言葉なのだとか。「引き際が大事」とかと同じようなニュアンスですかね。
これも先日読んだ本から考えたことです。もし仮に、ずっと卒業しない学校があったとしたら、どうなるか。卒業、つまり終わりがないわけですから、なんだか生活にハリが出なくなりそうです。
考えてみれば、長期休みの宿題も、いまだに学校では結構な量が出されてはいますが、一応終わり(ゴール)はあります。夏休みも、冬休みも、長いとはいっても終わりがありますよね。学年もそうです。1学期、2学期、3学期と、一つずつ「区切り」を作って、一旦の「終わり」を演出しているとも言えます。
明けない夜はなく、止まない雨はない。もっと言えば、死なない人もいない。どんなことにも、どんな人生にも必ず終わりがある。
だからこそ、「終わり方」をどうデザインしていくのかが大事なのだと考えました。
今、みなさんの目に見えている「終わり」はなんでしょうか。どんなことでも、いつかは終わる。
今まで積み重ねてきた一日一日は、決して無駄にはなりません。当然、今から積み重ねる一分一秒も、無駄なことなど一つもない。
それが確かな終わりに向けた一歩ならば、必ずつながる道があります。
どんな終わり方を迎えるか、イメージして、歩いていきましょう。